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TDR-1 (航空機) : ウィキペディア日本語版 | TDR-1 (航空機)
TDR-1とは、第二次世界大戦中にインターステート・エアクラフト・アンド・エンジニアリング・コーポレーションによりアメリカ海軍のため開発された初期の無人航空機である。当時この機材はアサルトドローン、攻撃用無人機と呼称された。航空爆弾または魚雷を搭載する能力を有し、2,000機が発注されたものの、約200機程度が生産されたにとどまった。この型式の機材は、太平洋戦線の日本軍に対して幾度か実戦投入された。しかし、開発上の問題が引き続いたことはこの航空機に影響を及ぼし、また従来の兵器を用いた作戦の成功も伴い、1944年10月には攻撃用無人機の開発を中止する決定に至った。 == 設計および開発 == 1936年、デルマー・S・ファーニー中将は、無人かつ遠隔操縦可能な航空機は、アメリカ海軍が実戦運用するに足る能力を持つと提案した〔。当時の技術的限界のために、「攻撃用無人機」計画の優先順位は低いものでしかなかったが、1940年代初期には電波高度計およびテレビが開発されたことで計画はより可能性を増し〔、続いての試験では有人航空機を改造した機材が使用され、無人機の海上標的に対する運用試験が1942年4月に実施された〔。同月、TDN-1攻撃用無人機によって試験が続けられたのち、インターステート社の機材は、アメリカ海軍から2機の試作機および設計に改良と簡略化を施した100機の量産機を製造する契約を受けた。この機材の制式名称はTDR-1となった〔。 TDR-1の操縦は、通常、TBFアベンジャーを使用した操縦機のオペレーターがテレビ画面を監視して実行した。無人機の機上に搭載されたカメラからの映像、また電波高度計の表示もこのテレビに映し出された〔。動力は220馬力のライカミングO-435を2基搭載しており、またTDR-1は極めて単純な設計を採用した。鋼管製のフレームは自転車製造を本業とするシュウィン社が生産し、これに成型された木製外皮を被せた〔Goebel 2010〕。これはより優先順位の高い航空機の生産を妨害しないよう、戦略物資をほぼ使用しないことになった〔。操縦士による操縦をオプションで可能とするための試験飛行が準備され、操縦試験中は空気力学に即したフェアリングが操縦室周辺を覆うのに用いられた〔。TDR-1は固定式の3車輪式降着装置を装備しており、作戦時、この脚は性能向上のため、離陸に続いて分離投棄された〔。
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